- Plates for Ambient -
作品-01-1


この作品に意味やコンセプト等はありません。 これは色々な試作の過程で “なんとなく” 形となった “ neutral ” な作品です。

以前、私は表現には自身の技術や能力、信念に裏打ちされた “特別な何か” が必要だと思っていました。
また、画面に “何かを表現する” “何かを込める”、といった表現の意義のようなものに囚われ、狭い視野の中での自問自答を繰り返していました。

本質的に表現の目的は自らが満足することであり、その結果としての作品に満足できるような価値を実感できれば、作品01-2そこに問題意識を感じることは無かったでしょう。
しかし、漠然と画面に価値の構成を試みる中で感じる自己満足に、私はどこか中途半端さを感じ、個としての内面から発生する表現ではなく、もっと大きな観点から求められる価値の探求を行いたいと考えるようになっていました。

そもそも 『価値』 とは非常にシンプルな要素であり、そこには何の意味も必要なく、また、判断されることも必要としません。
ただそれが 『価値』 であると “ 気付くこと ” でのみ確かめられる、全ての物事の本質的な要素です。

また、画面としての平面に 『描かれた・表現された世界』 というものは現実の対象ではありません。 対象はあくまでも 『何かが描かれている平面的な物体』 です。
鑑賞者は一つフィルター(画面という境界)を通すことでその内に表されている対象を認識します。 作品が何を主張するものであってもそれがダイレクトに伝わるわけではないのです。

そういった意識は作品の中に 『 “ 私が ” 表現する 』 『 何か表現するべきものを描き込める 』 という、作品01-3それまで抱いていた表現の目的や方向性に対する違和感となり、『 作品は作品としてそこにただ存在する物体であればよい 』 『 表現を “ 私 ” と切り離して実現するべきだ 』 と考えるようになります。

その後マチエール、バルールといった、絵画の表面的、構成的な課題を自らのテーマとする中で、よりシンプルに “物づくり” を行う意識へと変化が起こりはじめます。
それは私にとって “描く” という表現の不自由さからの開放だったように感じています。

「 neutral plate 」 2000. 20×19,5 cm. 油彩, パネル.

作品-02-1
「 蝶 」 2000. 60,5×47 cm.
金箔, 膠, 石膏, ニス, パネル.
作品-02-2
「 蛾 」 2009. 61,5×48 cm.
金箔, 膠, 石膏, ニス, 顔料, パネル.
作品02-3
「 千鳥 」 2009. 61,5×48 cm.
金箔, 膠, 石膏, ニス, 顔料, パネル.


展示風景-01

“ 形 ” という要素は対峙する側のどのような解釈に対しても変化することのない、その物自体の直接的な主張の一つです。
明確な形として打ち出された表現は何も意図を必要としない完結した表現の定着として作品に自立を形成します。

そのような考えの下で、私は表現を明確な形として打ち出し、 「物」 として完成させることにより、『 その「物」が存在することにより整えられる空間 』、 『 その「物」が鑑賞者と対峙することにより起こる意識の流れ 』、 といった “そこに在ることの価値” の創造を目指しています。

また、表現を個人的な主張や観念、世界観などの 「主観」 から切り離し、無意識の内に現れるイメージや直感的に見る “そこにあるべき形” をさぐり、具体的な形を見つけ出すように努めます。
造型の対象となるイメージを私の中から意識的に作り出すのではなく、すでに確立された存在として把握できれば そこから単純に物造りの行為としての造型に徹する事ができるからです。
これは私自身、どこか形而上的な世界へのアプローチのように感じています。

展示風景-02

作品は常に “その時そこに在る” のみであって、制作者の意図をふまえて捉えることは重要ではありません。
制作者との関係にはただ “制作する行為” があるのみです。
その “行為” もまた、制作者の主体性によるものとしてではなく、結果的に “作品が制作された” という事実にのみ帰結するものと捉えます。

注意するべきはそこにどのような価値が構成されるかであり、私はそのための効果的な様式を模索しています。

series - light in the dream -

作品-03
「 蝶 」 2000-2001. 180×180 cm. 膠, 顔料, 石膏, パネル.

作品-04
「 dynamics 」 1999-2001. 174×164 cm. ミクストメディア, パネル.

展示風景-03 「 representation of light 」 2001.
190×160 cm.
膠, 金箔, 顔料, 石膏, ニス, パネル.

展示風景-04
「 花 」 1999-2001. 160×160 cm. 油彩, パネル, 文章.
作品-05-1

この世界はエネルギーで構成された流れです

そして夢の中であなたは現実の裏側にさす光に包まれています

その光はあなた自身の魂のエネルギーであり、
あなたがどのような存在であるのかを伝えてくれるメッセージです

「 花 」 - メッセージ文 (2001.)
作品-05-2
夢の中の光は心の乗り物

それはこの世界の裏側の、もう一つの世界を運びます

現実の世界と交わることなく平行し続け、何も力の加わることの無い世界

深い魂の香りの中を漂い、世界を照らしているのです
「 夢の番犬 」 2001. 170×210 cm. 墨, 紙, パネル, 文章.
『夢と光の家』 / 金沢市民芸術村 里山の家.

作品-06-1

作品-06-2

私はパブリックな目的を含んだ表現をする上では、明確でシンボリックな形(認識されやすい形)に対象を表したいと考えます。

それは鑑賞者との間の意識面につながりを引くための大きな要素となるからです。
作品の意味を単独の内に完結させずに、意識面の広がりを築きたいのです。

この作品は 『 切り抜かれた向こう側からのぞく形と現実との間の境界面 』 としての 『 平面 』 を作ることで、鑑賞者に対する画面自体の主張を実験的に形にしようと制作したものです。

そのアプローチとしてのシンボルはあくまでも入り口であり、その先に何を見るべきか、それは私の意図を離れた所、つまり鑑賞者と作品との間に委ねられます。

- 制作テーマ - 2003.

展示風景-05
『 ARTISTS BY ARTISTS 』 / 六本木ヒルズ 53Fギャラリー.
- practice piece -
作品-06-4
作品-06-5
作品-06-6
「 Shintoism altar 」 2000-2003. 85×180 cm. 金箔, オイルステイン, パネル.

作品-07

- 何もフィルターを通さない表現 -

それは私自身の行動でありその痕跡です

何の意味も主張も込められていないものであっても、
それは存在しているのです

「 wall of youth hostel in Paris 」 2000. 41×34 cm. 写真のコピー, 塗装した額, 文章.

作品-08-1

作品-08-2

「 - 切り出された痛み - 」

受け入れがたい現実に対して生まれる意識は、受け入れる事に対する“抵抗”です。

“抵抗” は現実への “否定” として、意識に “壁” を築きます。
その “壁” は痛みを解き放つことを阻み続けます。
しかし - 痛みや悲しみですら「価値」である - と、 “肯定し” “受け入れる”、その過程を経て始めて感情のエネルギーは循環し、癒されることのない痛みさえ昇華されるのです。

私は痛みの感情と共鳴するための対象 (そのシンボルとしての要素 - ネジが刺さったブロック - ) を、屈折した光の中 (透明樹脂による立方体) に封入することで時間と空間の流れから象徴的に切り離し、磨きあげるという行為を経ることで 「価値」 として提示しようと試みました。

この作品は感情という形を持たないエネルギーの結晶から切り出されたシンボルです。
それは解き放たれずにある感情のエネルギーを受け止め、意識が循環を始めるための起点となることを目的としています。

- 制作テーマ - 2003.



上記のテーマ文は、人権に関する制作依頼に対してのものです。 現実に人権活動に取り組む立場から見る問題と私の示す方向とでは視点に違いがありますが、私は直接的な問題提起より、個々の内的な自覚へのアプローチを試みています。

理性に働きかけることよりも、理性を取り除いた部分にある感情、感覚の反応こそ理解へ通じるものだと考えているからです。

作品-08-3
「 output 」 2003. 42×31 cm.

そのような表現を目指す上で、私は個人的な判断を排除するよう心がけ、物事をシンプルに捉えるよう努めています。

それは対象について考えるのではなく、ただ 「見る」 ことであり、その 「見る」 という意味をより深く探求していきたいと考えています。

作品-08-4
「 output/projection 」 2003.
「 pieta 」 2002. 10×10×10 cm. 透明樹脂, ネジ, 石膏.

作品-09
「 Plates for Ambient 」 2007. 150×150 cm. 膠, 顔料, 石膏, パネル, ペンキ, 壁紙.

作品-10-1
作品-10-2

東林山 西覚寺

旧名を景陽山本覚院と言い、正和5年(1316)虎関師錬の開山。

天正年間の罹災後、寛永19年(1642)祐西法師により本覚院跡に建立されたのが西覚寺であると伝えられている。  - 浄土真宗本願寺派

「 龍 」 / 西覚寺天井画 2003. 565×546 cm. 墨, 膠, 顔料, 紙.

作品-11
「 臥龍梅相観図 」 2009. 172×369 cm. アクリル, 洋泊, 和紙.

作品-12
作品-12


襖、掛け軸、屏風など、近代以前この国の絵画作品は額縁といえるものに収めることを前提に制作されるものではありませんでした。

額縁が作品と空間を分ける境界、表現の区切りのようなものであるなら 襖絵においてはそれが置かれた空間、室内全体がその境界、区切りに含まれると考えます。
襖に描かれた絵はその空間に価値を持たせることを目的とするものであり、その作品は単独で観賞されることを目的にするものではありません。
描かれたものはただそこにあるのみで、主体性は空間に入る側にあるからです。

この襖絵の制作にあたってもこの場所がどのような空間であるべきか、という考えの下で襖に描かれた絵が画面の中だけで完結することのないように、 また、画面自体に主張をさせないよう意識しています。

作品-12
作品-12
作品-12
作品-12

清浄山 晴雲寺

1496年頃の創建。 親鸞750回忌に向けて書院を改築。
合わせて襖絵の制作依頼を受け、2011年にこの作品を奉納。  - 浄土真宗大谷派

晴雲寺書院襖絵 ( 制作途中 ). 183×76 cm ×12面 , 183×89 cm ×6面 . アクリル, 和紙.

【 Plates for Ambient 】


ここに掲載している作品の制作者である
伊藤廉の制作テーマ

「Ambient」は「周囲の〜」、
「取り囲んだ〜」を意味する形容詞

名詞形では「環境」を意味する

Ambient Musicという音楽思想により
そのジャンルを指す言葉としても用いられる

「Plate」は「平らなもの」の意

「平面」から「空間」へのアプローチについて
美術作家の立場からその可能性を考える

【 profile 】
伊藤 廉 ( イトウ キヨシ )
1979 三重県生まれ
2000 「豪華粗品」
2001 「青木繁記念大賞展」奨励賞
金沢美術工芸大学油画専攻卒業
二人展 「夢と光の家」
「ARTBOX大賞展」
2003 「ARTISTS BY ARTISTS」



2011-05-14
先日仮納品した作品画像をアップしました。
2011-04-09
近々このページからブログへのリンクを外したいと考えています。
このページのリンクからブログへ訪問してくださっている方には ご迷惑をおかけしますが直接ブログの方へ訪問していただけるよう ブックマークへ追加していただければ幸いです。
なお、ブログからこちらへのリンクは残します。
2010-10-11
ブログを設置しました
2010-10-04
サイトを開設


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